この世界の片隅に | SOCIOが空を飛ぶ

この世界の片隅に

日曜のことですが、時間がちょうど合う回があったので気になっていた「この世界の片隅に」を観てきました。余談ですが、南町田の109シネマズに行ったら、どうやら2月でグランベリーモールそのものが閉まってしまうようで。あそこのショッピングモールは厳しかったのかなぁ。南大沢に比べると人が少なかったのだろうか。余談終了。

 

 

以下映画の内容のネタバレを含むのでご覧になる予定の方は読まないでおいてください。まぁそもそも誰も読んでないという可能性もあるがw

 

 

 

まずは主人公のすずさんをのんさんが演じていたけれど、これがまぁとにかくおっとりとした広島弁が何の違和感もなく、完璧にすずさんがそこにいるとしか思えないくらいの演技。彼女の演技の実力はすごいのに、なんだか干されてしまっていて可哀そうですね。

 

 

最初のうちはのんびりした嫁姑(義姉)の話からだんだん戦争の足音が聞こえ始めて、そこから戦時下の市井の人々の日常を描いていました。もちろんデフォルメした部分もあるのでしょうが、とてもリアルに生活を感じました。食べるシーンが多かったせいもあったかな。

 

そして空襲警報と爆撃は本当に怖かった。それくらいアニメではあるもののリアルに恐怖感があった。何でしょうねあの感覚。その中での姪っ子の死と、自らのアイデンティティとも言える右腕の喪失は見ていて本当に辛かった。絵空事なんだからそんなに主人公を痛めつけなくてもと思ったけれど、ああいったことが戦時下では当たり前にそこかしこで起こっていたことなんでしょうね。実際自分が小さいころに近所に隻腕のおじいさんが住んでらした。当時は隻腕がとても怖かったけれど、その方はたぶんそういう事情だったのかなと今になって思う。

 

 

そんな戦争が終わり、すずさんがほっとして「良かった」とか言うのかと思ったら、「最後の一人まで戦うんじゃなかったのか!(←こんな感じのセリフだったかと)」叫ぶシーンには驚いた。きっと当時の人たちはそんな感じだったのかと思った。戦争に疑問を持つ人は少数だったのだろうし、「鬼畜米英」とか「欲しがりません勝つまでは」という教育を受けてきた人たちがいきなり戦争に敗けた事実を受け入れられるわけがないものね。

 

あと「この町は常に誰かを探している」というセリフも胸に来た。辛いセリフだった。そんな中での母を亡くした少女がすずさんたちに連れられて行くのは少しだけ救われた。きっとお互いがお互いを補完しあう存在という意味合いなんでしょう。

 

そして最後に遊郭のリンさんが昔すずさんが会った座敷童なのか?ということを示唆するシーンがあったけれど、やっぱりそうなのかな?しかしなんで座敷童が遊郭に売られたのかな?うーん?

 

それと鬼も出てきたけれど、あれもやはりその世界での現実ということで良いのかな?職場の映画好きと話し合ったけど、鬼や座敷童はあの世界で存在していて、あえてそういった現実と非現実をごちゃまぜにしているのではという結論になった。そこらへんは作者的にはどうなんでしょうね?原作にはそこらへんはあるのかな?

 

 

評判通りの映画でした。たんたんと生活を描いているから、だからこそ爆撃も原爆もそこにあるような感覚で身近な怖さを感じる、ある意味では反戦映画だったのでしょう。ただ声高に「戦争はいけない!」とか「戦争反対」と叫ぶ戦争批判のプロパガンダ映画ではありません。じっくりじんわり感じる映画だと思います。

 

 

あーもう泣いた泣いた。良い映画でした。